謎の孤児 カスパー・ハウザー
2011年 08月 07日
カスパー・ハウザーという名前を聞いたことがありますか?
1828年5月、ドイツ・ニュールンベルクの街に突然現れた正体不明の青年。
彼はわずかその5年後に暗殺され、この世を去ります。
カスパー・ハウザー(以下カスパー)が発見された時、
まともに歩ける状態ではなく、言葉も話せませんでした。
唯一彼が紙に書けたのは、恐らく彼の名前であろう「Kaspar Hauser」という文字のみ。
調査の結果判明したのは、カスパーが外界と遮断された
窓のない暗い部屋に幽閉され、パンと水だけを与えられて育ったこと。
他人とか時間の観念もなく、全く言葉も理解しませんでしたが、
聴覚や嗅覚だけは常人よりはるかに鋭敏で、
暗闇の中でもまるで明かりの下でのごとく歩くことができたそうです。
また馬のおもちゃに異常に興味を示し、その後は乗馬も難なくこなしたとか。
カスパーはその後徐々に言語を覚え、知識を増やしていくのですが、
平穏な日々は続きませんでした。
一度の暗殺未遂を経て、その後アンスバッハで何者かに胸を刺され,数日後に亡くなってしまいます。
実はこれには狂言説というか、自分で自分を刺したのではないかという説もあるのですが・・・
☆ドイツでは1974年に映画化。カスパー役は役者経験のないミュージシャン Bruno S 。
彼の演技は胸にじんときます。
映画に使われるパッヘルベルのカノンのメロディーが切ない。(英語字幕の予告編)
The Enigma of Kaspar Hauser
さてどうしてカスパーが当時それほどの注目を浴びたのか。
それは彼が実は当時の王位継承者の子息であるといった説があったからです。
カスパーの保護者として彼を引き取り面倒をみていたフォイエルバッハ氏の推測では、
カスパーは、その当時フランスとドイツの国境近くにあったバーデン大公国の大公の男系の曾孫。
その曾孫は公式文書上では幼くして死亡とされてますが、
裏に政治的な絡みがあり、あくまでも死亡は偽装だったようですね。
その後フォイエルバッハ氏も亡くなりますが、公式上では病死といえど、
実際は毒物による中毒死、つまり誰かの手によって暗殺されたというわけ。
なんだか怖いですね。。。
カスパー・ハウザーの話を簡単にまとめたサイトがあるので、
興味のあるかたはこちらをどうぞ(←クリックしてください)
実はこの話、今でもドイツでは調査が続いています。
シュピーゲル誌がDNA検査依頼をした結果、「カスパーはバーデン大公の子ではない」
と発表があったものの、発表の5年後ミュンスターの法医学インスティトゥートが、
その下着の血痕はカスパー自身の物ではないと疑いました。
帽子、髪、下着など6種類の異なったマテリアルからDNAを数度にわたり調査した結果、
カスパーは生物学的にバーデン大公家の親戚(一員)だと断言したのです。
いやはや、この先どんな事実が判明するのやら。秘密好きの私にはとっても気になります。
人間社会に出て5年、常に見世物になりながら若くしてこの世を去る運命になったカスパー、
この世に出てきて幸せと思える瞬間があったのかなあと、ふと思います。
ドイツ南部のアンスバッハ市には小さいながらもカスパー・ハウザー博物館があります。
まだ行ったことがないので、いつか必ず行かなければ!
下記のサイトはドイツ語ですが、画面に出てくる人差し指マークをクリックすると、
カスパーが身に着けていた服や時計、彼が描いた絵画や手紙などの展示品の一部が見られます。
Kaspar-Hauser-Abteilung im Markgrafen-Museum (←クリックしてください。)
Kaspar-Hauser-Platz
Ansbach
Tel.: 0981/ 977 50 56
E-Mail: museum@ansbach.de
開館時間:
10月から4月 月曜を除く毎日 10.00 - 17.00
5月から9月 毎日 10.00 - 17.00
それではまた!
1828年5月、ドイツ・ニュールンベルクの街に突然現れた正体不明の青年。
彼はわずかその5年後に暗殺され、この世を去ります。
カスパー・ハウザー(以下カスパー)が発見された時、
まともに歩ける状態ではなく、言葉も話せませんでした。
唯一彼が紙に書けたのは、恐らく彼の名前であろう「Kaspar Hauser」という文字のみ。
調査の結果判明したのは、カスパーが外界と遮断された
窓のない暗い部屋に幽閉され、パンと水だけを与えられて育ったこと。
他人とか時間の観念もなく、全く言葉も理解しませんでしたが、
聴覚や嗅覚だけは常人よりはるかに鋭敏で、
暗闇の中でもまるで明かりの下でのごとく歩くことができたそうです。
また馬のおもちゃに異常に興味を示し、その後は乗馬も難なくこなしたとか。
カスパーはその後徐々に言語を覚え、知識を増やしていくのですが、
平穏な日々は続きませんでした。
一度の暗殺未遂を経て、その後アンスバッハで何者かに胸を刺され,数日後に亡くなってしまいます。
実はこれには狂言説というか、自分で自分を刺したのではないかという説もあるのですが・・・
☆ドイツでは1974年に映画化。カスパー役は役者経験のないミュージシャン Bruno S 。
彼の演技は胸にじんときます。
映画に使われるパッヘルベルのカノンのメロディーが切ない。(英語字幕の予告編)
The Enigma of Kaspar Hauser
さてどうしてカスパーが当時それほどの注目を浴びたのか。
それは彼が実は当時の王位継承者の子息であるといった説があったからです。
カスパーの保護者として彼を引き取り面倒をみていたフォイエルバッハ氏の推測では、
カスパーは、その当時フランスとドイツの国境近くにあったバーデン大公国の大公の男系の曾孫。
その曾孫は公式文書上では幼くして死亡とされてますが、
裏に政治的な絡みがあり、あくまでも死亡は偽装だったようですね。
その後フォイエルバッハ氏も亡くなりますが、公式上では病死といえど、
実際は毒物による中毒死、つまり誰かの手によって暗殺されたというわけ。
なんだか怖いですね。。。
カスパー・ハウザーの話を簡単にまとめたサイトがあるので、
興味のあるかたはこちらをどうぞ(←クリックしてください)
実はこの話、今でもドイツでは調査が続いています。
シュピーゲル誌がDNA検査依頼をした結果、「カスパーはバーデン大公の子ではない」
と発表があったものの、発表の5年後ミュンスターの法医学インスティトゥートが、
その下着の血痕はカスパー自身の物ではないと疑いました。
帽子、髪、下着など6種類の異なったマテリアルからDNAを数度にわたり調査した結果、
カスパーは生物学的にバーデン大公家の親戚(一員)だと断言したのです。
いやはや、この先どんな事実が判明するのやら。秘密好きの私にはとっても気になります。
人間社会に出て5年、常に見世物になりながら若くしてこの世を去る運命になったカスパー、
この世に出てきて幸せと思える瞬間があったのかなあと、ふと思います。
ドイツ南部のアンスバッハ市には小さいながらもカスパー・ハウザー博物館があります。
まだ行ったことがないので、いつか必ず行かなければ!
下記のサイトはドイツ語ですが、画面に出てくる人差し指マークをクリックすると、
カスパーが身に着けていた服や時計、彼が描いた絵画や手紙などの展示品の一部が見られます。
Kaspar-Hauser-Abteilung im Markgrafen-Museum (←クリックしてください。)
Kaspar-Hauser-Platz
Ansbach
Tel.: 0981/ 977 50 56
E-Mail: museum@ansbach.de
開館時間:
10月から4月 月曜を除く毎日 10.00 - 17.00
5月から9月 毎日 10.00 - 17.00
それではまた!
by penedescat
| 2011-08-07 03:02
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